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リベラリズムを哲学的に考察する

1 :哲学少年2(藁:01/11/24 18:34 ID:???
リベラリズムを哲学的に考えてみましょう。
自由と福祉は根本的に矛盾しないか、とか。

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/24 18:58 ID:???
うっさいハゲ   

3 :つたや:01/11/24 20:23 ID:???
>自由と福祉は根本的に矛盾しないか、とか。

 自由と福祉が矛盾するというのは、簡単に言うと、
自由と「人道の国家的強制」が矛盾するということですね。

 自由主義は、個人を社会の最小単位と看做し、個人を第一次的価値とする個人主義を
前提にしますので、必然的に「私有財産の不可侵」と「自己決定権」が帰結するわけです。
つまり、個人の私的な物事(モノとコト)は、国家の支配を受けずに、個々人の自由意志の
支配の下にあるということです。

 同じ自由主義でも、所謂リバタリアニズムとは異なるリベラリズムは自由の領域の確保
だけではなく福祉政策(再分配政策)にも関心を持ちます。福祉政策は、経済的弱者に対
する救済という人道を、いわば経済的強者に対して国家的に強制することに他ならない。
それが、私有財産権の侵害であったり、個人の自由意志の尊重と矛盾するものであったりする
わけですね。

 リベラリストを自認する人は、福祉政策をどのような見地から正当化するのかを、聞いて
みたいところです。

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/24 21:19 ID:fyuc0JAU
自由と福祉と言うより、自由と平等だろうな。
平等を突き詰めていくと、私有財産の否定、金融機関・生産設備
の国有化、相続権の廃止、結婚制度の廃止、などの共産主義になる。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/24 21:46 ID:TEQ7kw7Q
自由と民主主義も

6 :哲学少年2(藁:01/11/25 00:24 ID:???
>>つたやさん
リベラリストが個人主義を前提としているというのは間違いないと思う。
確かに、リベラリズムはつたやさんが言うように個人を第一次的価値とする
ところから出発するんだと思う。しかし、個人主義を「個人の意思」より
「個人の利益」の尊重に重点をおいた場合だったら、弱者を救うという福祉
政策は個人主義と矛盾が少なくなると思います。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/25 00:25 ID:HdIBnJ6A
おお、菊地がいなくなるとすっかりまともな議論に……

8 :つたや:01/11/25 00:33 ID:???
>哲学少年2君

 その場合であっても、福祉政策によるある経済的弱者の利益が、ある強者の不利益に繋がる
でしょう。もし、それを、国家が福祉政策を実行することにより、国民全体の格差を是正する
のだという正当化根拠をもちだすならば、その時点で「国民」という集合的表象を導入してる
わけです。つまり、個人の利益よりも、国民全体の(ある程度の)バランスを優先しているの
です。それは、「個人の利益を尊重する」という、君の言う「個人主義ではありませんね。
集団全体の利益を、絶対的な個人の利益に優先させているではないですか?
 まあ、私は個人主義を完遂させるのがよいというのではないですが、福祉は、個人の意思/
利益を最重視するという個人主義には反している。

9 :つたや:01/11/25 01:09 ID:???
>>3の所論を敷衍して論じてみます。

 リベラリズムは国家権力の制限と個人的自由の領域の確保に主たる関心を持ちます。同時に、
リベラリズムは所謂リバータリアニズムとは異なり、平等主義的な再分配政策である福祉にも関
心を持ちます。些か単純化のし過ぎのきらいはありますが、「個人的自由の確保」と「福祉政策」の
2つがリベラリズムの両輪です。さて、この2つの関心は両立しうるのでしょうか。

 国家権力の制限による個人的自由の確保に関心を持つリベラリズムは、当然ながら、社会を
個人の集合体であると考え、個人こそが最大限尊重さるべき存在であると考える個人主義を前提
としています。「個人」とは、これ以上に分割不可能な社会の単位であり、自己同一的な実体であ
ります。その意味は、人間という存在体は、他者と無関係に独立自存の実体として存立可能であ
るということであり、共同体主義が考えるように、他者との関係体ではないということです。かかる
「個人」が第一次的価値として前提される以上、自分に関する物事について、他人に介入を許
す根拠など根本的にありはしない。これを、国家との関係で政治思想的に言い直すと、個人主義
は、個人の財産を侵してはならないとする「私有財産の不可侵」と、個人の事柄は国家の支配的
介入を排してその個人自身の支配にあるとする「自己決定権」が帰結するということです。

10 :つたや:01/11/25 01:10 ID:???
 しかしながら、リベラリズムは個人主義に立脚しながら、同時に福祉政策にも関心を持ちます。
この辺が私が納得いかないところです。
 人間を、社会的諸関係のアンサンブルと考えるマルクス主義や、国民国家の文化や歴史とのイ
ンターテクスチュアリティーとして考えるナショナリストならば、人間を自己同一的な実体ではなく、
社会的生産的な関係性や歴史・文化的共同体との関係に負うものとして捉えるので、彼らが、国
家共同体に福祉のための税金を払う義務をとなえ、私有財産を制限しようとするのには、少なくと
も差当たっての根拠はある(マルキストは最終的には私有財産や国家を否定するのですが)。
しかし、個人主義者が国家権力による強制的な私有財産の再分配を唱えるのはどうも納得で
きない。一般的に彼らは「人道」的見地から福祉の重要性をいうのですが、「貧しい可愛そうな人
がいるから、彼らを助けるという人道のために税金を払え」言われても、個人主義者ならば「それ
はあなたの人道であって私の人道ではない」と答えてもおかしくはないでしょう。その「非人道的」
な言い分を否定する論拠は個人主義にはない。個人主義は個人の意思が第一次的価値なので
すから。共同体の福祉のために、積極的な善を強制される謂れは無いわけです。

11 :つたや:01/11/25 01:11 ID:???
 ちょっと、税金と公共政策の関係について考えてみましょう。税金の原則は、納税者が支払う税
金とそれによって賄われる政策が対価関係に立つとみなされなくてはならない。納税者が支払う
税金とそれにより賄われる政策による納税者に対する便益の比較において、後者の方が明らか
に少ないとみなされるなら、納税者はその政策を是認しないでしょう。
個人主義者でも、一般に治安の維持や国防に関しては税金を納めようとするでしょう。それによ
り、自分の生命と財産が守られているからです。しかし、福祉政策は、自分が支払った税金によっ
て利益を得るのは、自分自身ではなく、どこかの貧乏人や老人のようなあまり税金を支払う能力も
無い社会的弱者ですね。したがって、「国家に納めた税金vs.『個人』の利益」という観点からは、
必ずしも福祉政策が肯定されるとは限らない。
 結局、福祉政策というのは、「国家に納めた税金vs.『国民』の利益」という具合に、国民という集
合的・全体的表象を前提にする「ある種の」集団主義なのですね。「国家」福祉は「国民」という集
合体を仮構しなければ、成り立たない政策なのです。つまり、福祉政策を国民全体の調和や福利
として考えた場合、初めて税と政策の便益の対価的関係として、さし当たっての辻褄があうという
ことです。そして、それは必ず個人主義と矛盾するものです。

 したがって、リベラリズムが福祉主義を含むのだとしたら、リベラリズムは原理的に「個人主義」
と「人道の強制」という矛盾を含む思想ではないかということ。

12 ::01/11/25 02:37 ID:pw2eYVxs
>かかる 「個人」が第一次的価値として前提される以上、自分に関する物事について、他
>人に介入を許す根拠など根本的にありはしない。これを、国家との関係で政治思想的に
>言い直すと、個人主義は、個人の財産を侵してはならないとする「私有財産の不可侵」
>と、個人の事柄は国家の支配的介入を排してその個人自身の支配にあるとする「自己
>決定権」が帰結するということです

以下で述べることは私の中で必ずしも練られているものではないし、価値観の表明でもないですが。
必ずしも私有財産の不可侵が帰結すると考えなくても良いと思います。
私有財産の観念は端的に国家、もしくは公共の観念を前提しているとも考えられます。
つまり、私有財産は国家によって保護されるため、それによって左右される程度が
−シュミット曰く、純正の自然権である信仰の自由に比し−大きいと考えてもよいし、
財産権の行使は財の希少性、他人に対する影響力などの観点から公的性質を
より強く持つとも考えられます。つまり、個人主義と私有財産制度は親和的な
関係ではあるが、絶対にくっつかなくてはならないものではないし、くっつくにしても
不可侵性の神話までをも強調しなくてはならないものではない。

13 :つたや:01/11/25 04:19 ID:???
>猫様
 あまり君の言うことが理解できなくて申し訳ないですが、議論を混乱させることを
恐れずレス。

>私有財産の観念は端的に国家、もしくは公共の観念を前提しているとも考えられます。

 というのは、公と私は対概念ですので、公共財ではない財産が私有財産であるという
意味においてであれば理解できます。で、貴方が言いたいのは、国家が供給する公共財
の公共の範囲をどの基準で定めるかによって、私有財産の制限の範囲もきまるということ
でしょうか?

 それでは、公共の範囲の設定の仕方について。
 公共財というのは税金で賄われます。たとえば、警察により維持される治安というのも
公共財です。その財の便益が皆に開かれているからですね。しかし、福祉政策による便益
は一部の者しか得ることが出来ません。あるいは、格安の市民プールなども、行かない人
にとっては何の利益もありません。「公」が「全ての人に開かれていること」を意味する
のだとすると、一部の者にしか開かれていない物事を「公」と称するのは、「個人主義」
的見地からいうとやはりおかしい。
 福祉政策を「国民全体の調和や福利」として考えた場合のみ、つまり個人の利益を集団
の利益に下属させた場合のみ、それは公共的な性格を持ちうる。この辺が個人主義と福祉
が矛盾するところです。

14 :つたや:01/11/25 04:22 ID:???
>>12の猫様の文章で「つまり」という接続詞の前後のつながりが
余りないようにも見えるのですが、その辺を詳しく説明してくれる
と嬉しいなー

15 ::01/11/25 09:14 ID:pw2eYVxs
>つたやさん
まず>14の方から。
この場合のつまりは、私有財産制度が国家によって影響されること、ないし公共の観念
を有することの説明ですね。

次に公共の概念について。
つたやさんは公と私は対になる言葉だと書かれていますが、私の用いている
公の意味は所謂公共財の意味−例えば、道路に信号を作ることのような−とは異なります。

>国家が供給する公共財 の公共の範囲をどの基準で定めるかによって、私有財産の制限の範囲もきまるということ
でしょうか?

というより−以下は多少誇張を含めて書きますが−むしろ私有財産を含めた
財それ次第の定義が国家によって決まるのです。
私有財産制度が国家を前提とする、というのはその意味です。
この意味で私有財産制度は自然権ではありません。
勿論、現行の日本国憲法が財産権規定をおいている以上、現憲法下で
共産主義的な主義的な財産制度に移行することは不可能とみますが。
何故財産権が自然権ではないか−自然権的要素が0であるとは見ませんが−
と言えば、それは財というものが世界で限られているものであったり−この点で思想の自由や
表現の自由とは違う。ちなみに表現の自由であっても、財の希少性の観点から
制限がかけられることはある。例えば放送法による放送媒体利用の制限−。
財産権の利用が他人に与える影響が大きいから−他人との取引一つとってもそう−です。
作為的な民法典、商法典なくしては取引は不可能とは言わないまでも困難です。
この点で、最初から無制限な自由たる思想の自由最初から国家によって大きく左右される財産権の
制限の方法は大きく異なります。

16 ::01/11/25 09:22 ID:pw2eYVxs
例えば、私有財産「制度」という言い方はあっても表現の自由「制度」とは言わないですね。

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