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日本の正統派リバタリアン・森村進

1 :経団連職員:2001/03/22(木) 22:04
この間出した新刊で、日本の正統派リバタリアン・森村進が
実に分かりやすい政治思想の区分を示している。

・経済的自由を重んじ、人格的自由を重んじるのがリバタリアン
・経済的自由を重んじ、人格的自由を軽んじるのが保守派
・経済的自由を軽んじ、人格的自由を重んじるのがリベラル
・経済的自由を軽んじ、人格的自由を軽んじるのが権威主義

経済的自由とは、弱肉強食、事故責任、自由放任主義とほぼイコールであり、
人格的自由とは、多様な価値観に寛容であり、異質な存在・組織・思想を許すことだ。

この分類によれば、西部邁や西尾幹二は保守派というより権威主義者であり、
石原慎太郎や大前研一は保守派になる。浅田彰はリベラルだろう。
ところで日本の政治の哀しいところは、
真っ当なリバタリアンがなかなか見当たらないところにある。
日本でリバタリアンを名乗りだすと、アナーキスト扱いされてしまうからか。
森村進も一橋の教授をやってるのなら、優秀なリバタリアンの学生を育てて、
どんどん政界や言論界に送り込むべきだ。

2 :つまらんぞコヴァ:2001/03/22(木) 22:27
ファシストコヴァに精液をぶっかけろ。
ファシストコヴァを浣腸責めにせよ。
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ファシストコヴァに精液をぶっかけろ。
もっと頭使え。


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ファシストコヴァを浣腸責めにせよ



3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/22(木) 22:35
私見では下記の人物たちもリバタリアン?

広島大学の憲法学者・阪本昌成

山梨大学教育学部の生物学者・池田清彦

そして、

常葉学園大学助教授でお馴染み・副島隆彦

4 :つまらんぞコヴァ:2001/03/22(木) 22:36

                        
      彡ノ川 リ||)             ┌────────
     C ○-○                │コヴァSM倶楽部
      人 ∇ ノ              │浣腸:5円
   /⌒  - - ⌒\           │鞭:2円
  /  人 。   。丿〃 ーヽへ      │ローソク;1円
  /  /|    亠  |∝ハ ハハ /ヘ\∽  │アナル責め:50銭
 / / |  /干\| (/ /へレルレ 一 (( )) └────────
 \ \ |      | (( | ;ー ー ; |)ハ
   \  V_⌒v⌒\__ゝ~ `o ~丿ノル
     \__ξ  丶/⌒ - - ヽ
    / \    |  |     / |
    /  ノ\__|  |___,_ノ| |
   /  /パンパン|  | ゚   ゚  |  |
  /  /      |  |_     |  |_
        


5 :(;´Д`)ハアハア:2001/03/22(木) 22:49
>>1
今年って経団連採用ないんですか?

6 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/22(木) 23:30
リバタリアン=新自由主義(セーフティネット無し)・・
・・・下手するとアナーキズムに陥る可能性有り。

リベラル=社民主義(セーフティネット有り)・・・但し、
アメリカ合衆国においては、リベラルとリバタリアンは
たびたび混同されている。
                 ってなところか。。。

7 ::2001/03/23(金) 06:44
>6さん
リバタリアン=新自由主義(セーフティネット無し)・・
・・・下手するとアナーキズムに陥る可能性有り。

これはあくまで私の用語法なので、私のほうが正しいと主張するつもりはないのですが。
アナルコ・キャピタリズム=無政府資本主義(セーフティネットどころか、
国家による軍隊、警察もなし)
リバタリアニズム=自由至上主義(国防、治安維持、最低限の社会保障
−これをセーフティネットと呼ぶかは、セーフティネットの定義による−を国家に任せる)
リベラル=社民主義(広く深い社会保障)

>アメリカ合衆国においては、リベラルとリバタリアンは
たびたび混同されている。

むしろ日本のほうが混同されているような気がします。                
本当はリベラリズム=リベラルな社民主義という翻訳は少し異常な気も(笑

法哲学者には思想的にリバタリアニズム、アナ−キズムに関心持つ人、多いような。
森村さんは勿論、住吉雅美さんとか、嶋津格さんとか。

8 ::2001/03/23(金) 06:49
上にあげたのは単なるカテゴリー分類なので、論者によって主張の程度の差異はありますし、
上のカテゴリーのどこにも当てはまらない人もいるでしょう。

>3さん
私も、阪元さんはリバタリアンといっていいと思います。
古典的自由主義者と名乗っているようだし。ハイエキアンだし。

9 ::2001/03/23(金) 06:55
ちなみに森村さんは『権利と人格』(創文社)という本も出してます。
少なからぬ部分がデレク・パーフィットの紹介に割かれていますが、
個人の人格的統一性は時間によって変わる、つまり今日の私は将来の私でないゆえ、
今のわたしの自己決定権の行使だなんだといって煙草を吸って自分の体をいじめるのは
将来の私に対する人権の侵害である、というような話が出てきます。
なかなか尋常ではない話なので、結構面白いです。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 10:40
リバタリアンとナショナリズム、民族主義は相容れない。
リバタリアンは価値観の多様性を受け入れるからだ。

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 11:08
>リバタリアンは価値観の多様性を受け入れるからだ。
副島とか見てるととてもそうは思えんな。



12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 11:33
リバタリアニズムって修正済みアナキズムって感じですか?

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 12:11
とりあえず、右翼(馬鹿)には、理解するのが難しいだろうな。

14 ::2001/03/23(金) 12:55
>>リバタリアンは価値観の多様性を受け入れるからだ。
>副島とか見てるととてもそうは思えんな。

1で挙がっている本−『自由はどこまで可能か−リバタリアニズム入門』−は
2chをぶらぶらみていると結構読まれているらしいのですが。
で、その感想として「リバタリアニズムといえば副島をイメージするが、
必ずしもそういうものでもないのだな」というような書き込みがありました。
私は副島氏をよんでないので、碌な事はいえませんが。

で、森村本ではリバタリアニズムの国家間は、国民国家的なものではなく、
中世ヨーロッパの帝国的であり、また、国家に対する帰属意識もとくになく、
寧ろ世界市民的である、と言ってますね。


15 ::2001/03/23(金) 13:01
訂正
×リバタリアニズムの国家間
○リバタリアニズムの国家観

>中世ヨーロッパの帝国的
中世と言うか、古代ローマ帝国が典型とされていました。今、本見たら。


16 :@下高井戸の独房〜帰省中:2001/03/23(金) 14:28
>アメリカ合衆国においては、リベラルとリバタリアンは
>たびたび混同されている。

既に猫さんご指摘のとおりですが、そうでもないのでは?
副島さん情報によると(すいません石投げないで下さい)、
リベラル派(=アメリカでの社会民主主義者)は民主党支持者で、
リバタリアン(=古典的自由主義者)は共和党支持者だそうです。
なんでも、全米ライフル協会員とかとかぶってる部分も多いとか。
「軍人・ワシントンの役人どもに守ってもらう必要はない、自分のみは自分で守る、
戦争がはじまったら自分の銃で戦う!」
「俺たちの稼いだカネを役にも立たない社会福祉のために巻き上げようとするな!」
というノリなんだそうな。
いかにも民主党リベラル派とは相容れなさそうですね。


17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 14:36
このスレおもしろい。
久々の良質スレッド。俺にはレベル高いけど、がんばって。

18 ::2001/03/23(金) 15:00
>@下高井戸の独房さん
かといってがちがちのリバタリアンが熱心な共和主義者というわけでも
ないのでしょうね、おそらく。
国家よりも個人のほうが重要と言うリバタリアンが共和党支持者だとは考えにくい。
むしろ、1さんも書いているようにリバタリアンは右翼−左翼図式(新自由主義対社民主義)に
とらわれない立場なんだろうな、と。特には既存政党が受け皿になりにくいような。
実際アメリカでも一種の草の根運動的に広まっているらしいし。

日本だと、リバタリアンの受け皿ってどこになるのかな。民主党か自由党か。
最近だと白川さんのところも受け皿になりそうですが。
結構政党の数はあるのに、リバタリアンを標榜する政党がないのはつまらないかな、と。

19 ::2001/03/23(金) 15:10
>「軍人・ワシントンの役人どもに守ってもらう必要はない、自分のみは自分で守る、
戦争がはじまったら自分の銃で戦う!」

これに関する極個人的な論評。
一般に、上のような主張をする人は、「愛国者」と呼ばれると思いますが。
難しい言葉でいうと(笑 「能動的な公民」ですね。
で、これの規模がでかくなったのが「民族主義者」だといえるかな、民族自決を訴える立場ですね。
これに対して、リバタリアンは民族、愛国なる概念に感傷を覚えないわけです。
ただ、上のような主張には賛同するわけで。
これはなんでかというと、これもまた一種の自決主義、自治主義なわけです。
ただ、その自決の規模は国家ではない。個人であったり、極私的な集団なのでしょう。


20 ::2001/03/23(金) 15:14
自決、といっても、一般的に、自決の対象の規模がでかくなればなるほど、
抑圧的になると考えられます。世界政府は最も抑圧的な政府である、と言ったのはカントだっけな。
つまり、自分の意見の反映の程度が薄まるからですね。
そういうわけで、リバタリアンは一般的に地方自治推進論者らしいです。
ま、地方政府が抑圧しないとは限らないですし、国家よりもマシ程度ですが。

21 :Маршал Боголюбов:2001/03/23(金) 15:25
著作権なんかいらないとか言ってたのは森村進先生でしたか?
忘れちゃったので誰か教えて

22 ::2001/03/23(金) 15:33
森村さんの著作権に対する態度としては「自由はどこまで可能か」43ページ参照。
基本的にリバタリアンは著作権に対して懐疑的であると言い、森村さんも同様のようですね。
自分の肉体を行使した物理的なもの以外に対する所有権の適用を認めたくないらしいです。

23 :Маршал Боголюбов:2001/03/23(金) 15:49
単にロックに心酔してるからだけじゃないの?

24 :@下高井戸の独房〜帰省中:2001/03/23(金) 16:06
>猫さん
論旨にほぼ賛成です。
ただ、リバタリアンが共和党支持者である率は高い、というのは確かなようです。
もっとも、既存政党が受け皿になりにくいというのはその通りでしょう。
共和党内部には宗教右派からリバタリアンまでいて、これらは実は犬猿の仲だそうです。
国家に良心の問題を指図されるいわれはない!といったところでしょうか。
草の根運動というのはやっぱり新しい政党を立ち上げたりしているのでしょうか。

>リバタリアンは民族、愛国なる概念に感傷を覚えないわけです。

おっしゃる通り、リバタリアンにとって命をかけて守るべきものとは
自分、および家族の生命・身体・財産 であって、間違っても「国家」を
守ろうとはしないでしょう。民族、愛国などもってのほか。
一種の自決主義、自治主義ではあるが国家単位ではない。
その意味ではいわゆる「公民」ではないですね。

>リバタリアンは一般的に地方自治推進論者らしいです。

最近の英米の政治哲学は国家規模の単位で思考する、というよりも
むしろそれから距離をおいて、より小さな単位を基本に据えるという
流れが強いような気がします。リバタリアンしかり、コミュニタリアンしかり。
集団的意思決定が困難で抑圧の可能性も高い国家よりも、小規模な自治組織の自決、
相互扶助を重視し、こちらに期待をかけるということでしょう。
ちなみに芦部先生の憲法の教科書には民主主義=治者と被治者の同一性確保のためのシステム、
国民の自己決定というような言葉が出てきます。言いたい事はわかるのですが、
国民国家のような大規模な組織においてはこの定式は相当むなしいものがあると私は思います。
下手をすればそれこそ抑圧を正当化する可能性すらあるような。
面白いことに古典的自由主義者(リバタリアン的か?)を自称する阪本昌成先生は芦部先生のこの考え方を
徹底的に批判しています。



25 ::2001/03/23(金) 17:28
>@下高井戸の独房さん
レスどうも。
>民主主義=治者と被治者の同一性確保のためのシステム
私も芦部的なるもの、つまり楽観的な自由主義と民主主義の結合には違和感を感じます。
現実の社会が民主的に運営されているにしても、自分の意見がほとんど反映されない
という国民国家規模の政治を考えるならば、民主的に決まったのだから、多数者の意見に従え、
と言う主張は抑圧とさして変わらないのでしょう。
更にいえば、(議会制)民主主義のルール、これは多数決と同義であると
考えられることがしばしばありますが、
本当は、適切な議論の応酬が繰り返され、より説得的な主張が勝ったからこそ、
その意見が政治に反映されるべきだ、と考えるべきだと思いますが、
現代の政治では、議会、議論が形骸化しているのは言うまでもありません。
つまり、現実の政治は「多数者の専制」に過ぎない。
これを治者と被治者の同一性という言葉でごまかすのは単なるイデオロギー的
隠蔽に過ぎないのでしょう。
この意味では、人権の保障は議会によって、民主主義によってなされると言うより
−このような主張は、民主主義下においては、つまり治者と被治者の同一性の確保が
なされている社会においては、治者が被治者の人権を侵害するわけがない、と考えますが、
実際にはそんなことはない、と自由主義者は考えますね−
司法によってなされるべきだとも思いますが。
だいたい本当に治者と被治者の同一性が成立しているのであれば、人権の司法救済はいらないはずだし。

26 ::2001/03/23(金) 17:37
で、基本的に、私は民主主義というのは上に述べたようにイデオロギー
−何らかの事実を隠蔽し、虚偽的な理論でごまかすと言う意味−であると思っているのですが。
で、この辺をごまかす概念があるわけですね。
つまり、「真の民主主義」のような概念です。
自らを人民だとか、愛国者だとか標榜して、自分は本当に人民のこと、国のことを考えているのだ、
だから、自分を批判するものは、人民の敵、売国奴だ、となる、と。
つまり、このような立場は反個人主義的であり、実体的な「集合」を観念している、といえるかな。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 23:28
猫さんって本当に学部生?
ウチのインセより遥かにベンキョしとるね。
とりあえず、ガムバレ!!

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/24(土) 12:44
猫さんの仰るとおりですね。
西部邁なども「民主主義」を標榜しているわけだけど
その内訳は、あくまで「国民」(国家に忠誠を誓った)
による自決という意味で「民主主義」(国家民主主義)
を標榜しているわけです。(笑)
右派が使う「民主主義」は自分らへの賛同者を増やすため
の方便で使っている色合いが強い。
だから、個人の人権尊重(個人の尊厳の尊重)という問題
を論ずるには、「民主主義」論では充分な論議は出来ず、
「自由主義」論で臨んでこそ、論者のハッキリした色分け
が出来ると思いますね。
「自由主義」という言葉は広義な意味で、「リベラル」
「リバタリアン」論をすることによって初めて論者の
「自由」に関する主観が見えてくるということでしょうか。




29 :経団連:2001/03/24(土) 14:13
2日ぶりにきてみたけど、濃厚なレスが返ってきてて嬉しい。
ところで、日本でリバタリアンと呼べる政治家というと、だれになるのだろうか?
まず思い付くのは、小沢一郎だけど、
この人、リバタリアンというよりかは保守派に近いと思う。
言ってることを聞いてても、価値観の多様性などを重視している様には思えない。
案外、リベラルで知られている加藤鉱一は、
市場原理の重視、価値観の多様性も認める雰囲気はあるような気がする。
まあ、ちょっと政界に詳しい方のレス求む。


30 ::2001/03/24(土) 15:54
>27さん
どうもっす。

>28さん
おそらく、自由主義と民主主義は幸福な結婚をし得ると考えるのが
戦後民主主義的な進歩主義なのだろうと思います。
しかし、両者は別の概念であるし、矛盾することもある。
シュミット流に言えば、自由主義は多様性を追求するし、
民主主義は同一性を追及する。
この辺をリベラル・デモクラシーという言葉でごまかすのは、
政治思想としてはやはり物足りないですよね。

>経団連さん
http://www.megabbs.com/cgi-bin/readres.cgi?bo=sisou&vi=977582393&rm=100
ここの38以下とか参考にあげておきますです。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/24(土) 16:29
リバタリアンは、コヴァです。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/25(日) 03:40
名スレ。アゲ。

33 :現実:2001/03/25(日) 05:17
■リバタリアニズム
>>7法哲学者には思想的にリバタリアニズム、アナ−キズムに関心持つ人、多いような。

法制度、特に、公法系のそれは、ほぼ、国家なり政府なりの存在を自明の前提としています。とりわけアナキズムが、そのような、国家の自明性を根底から切り崩すからこそ、アナキズムによる批判(「法制度云々を論じる以前に、そもそも国家自体不要ではないか?」)に対して、一定の説得力ある回答を用意しなければならない。。。。という、「法」哲学者としての使命感が、あるのではないでしょうか。

>>16リバタリアン(=古典的自由主義者)は共和党支持者だそうです。

4,5年くらい前に何かの統計のようなものでみた?記憶がありますが、共和党支持者の二割くらいがリバタリアンだそうです。ソース出せませんが。。うろ覚え。

リバタリアニズム参考書としては、剄草書房から出てたジョナサン・ウルフの本が面白かったです。
副島隆彦訳『リバータリアニズム入門』は、読んだときに、訳の間違いらしき箇所があって萎えた記憶があります。原著に当たったわけではないんで、俺の勘違いな可能性も多分にありますが。
岩波の『新哲学講義7/自由・権力・ユートピア』収録の、嶋津先生と森村先生の文章が、どちらもQ&Aの形式を採っていて、分かりやすく面白いです。短いし。入門にお勧めです。森村先生の講談社学術新書のは、まだ読んでる途中(半ば放置プレイ中。。。)なんでわかりませんが。

34 :現実:2001/03/25(日) 05:18
■治者=被治者
芦部先生等の学説が抱える、自由主義と民主主義の齟齬については、猫さんや下高井戸〜さんがここで書いていたり、阪本先生あたりが批判している通りでしょう。ただ、芦部先生を擁護すると(笑)、民主主義なり国民主権なりを強調したのは、多分、戦前体制が念頭にあったんだと思います。天皇主権・国家主権との対比で、国民主権や民主主義を強調したのかと。

■民主主義の踏絵
「保守主義の言う『民主主義』批判」>>26>>28が出ていますが、日本の場合、天皇制についてある程度ツッコんだ質問をすれば、その論者が、自己の内部において「人権」「民主主義」「自由」といった概念をどのように理解・支持しているか、分かるので、非常に便利です。口では「ナントカ主義」を自称していても、本音が分かりますから。。。。と書いたら怒られるかな(笑)。


35 :@下高井戸の独房〜帰省中:2001/03/25(日) 07:57
>現実さん

現実さんレスどうもです。法学部へっぽこ卒業生の@下高井戸です。

>4,5年くらい前に何かの統計のようなものでみた?記憶がありますが、共和党支持者の二割くらいがリバタリアンだそうで
>す。ソース出せませんが。。うろ覚え。

これは興味深いですね。ソースが分かるといいのですが。
共和党といっても一枚岩ではなく、宗教右派からリバタリアンまで
はっきり言って相容れない人々が雑居しているという状況なのでしょう。
共通点といえば国家の公的制度に頼らずに教会なり地域社会なりの何らかの私的な
コミュニティーの自助を重視するというあたりなんでしょうか。
中絶問題とかどういう風に折り合いをつけてるいのか・・・調べてみると面白そうです。

>法制度、特に、公法系のそれは、ほぼ、国家なり政府なりの存在を自明の前提としています。とりわけアナキズムが、その
>ような、国家の自明性を根底から切り崩すからこそ、アナキズムによる批判(「法制度云々を論じる以前に、そもそも国家
>自体不要ではないか?」)に対して、一定の説得力ある回答を用意しなければならない。。。。という、「法」哲学者としての
>使命感が、あるのではないでしょうか。

法哲学のノージック、また憲法の長谷部恭男先生の著書に
「〜その前に国家はそもそも必要なのか?なぜ?何のために?我々はここから始めなければならない」
というように書いてあるのを見て私は小躍りしました。
原理的かつ誠実に思考しようとすれば、「国家」を論じる者はアナーキズムからの批判を
やはり一度は真剣に受け止めなければならないと思います。
この点、井上達夫先生の「アナーキズムは無秩序主義ではない。秩序状態を国家の存在と
等値することを批判する思考だ」という指摘にはなるほど、と思いました。
これは国家の正当性を考える上で強力な思考の素材になりうるな、と。
さらに、無政府状態よりも政府の存在する状況のほうが勝る、ということを示せたとしても、
現存する福祉国家がよいものであるということにはなりません。
この意味で、両者の間できわどい思考を繰り広げる最小国家の思想(私の理解ですが)である
リバタリアニズムに私は注目しています。

>森村先生の講談社学術新書

ざっと通読しただけですが、これはよくまとまっている上に内容も濃くて面白かったです。
ちなみにこの本の末尾には副島訳『リバータリアニズム入門』がお勧め文献として
あげられていましたが・・・


36 :@下高井戸の独房〜帰省中:2001/03/25(日) 08:35
>現実さん

>ただ、芦部先生を擁護すると(笑)、民主主義なり国民主権なりを強調したのは、
>多分、戦前体制が念頭にあったんだと思います。天皇主権・国家主権との対比で、
>国民主権や民主主義を強調したのかと。

芦部先生くらいの世代の学者だと、日本国憲法を輝かせるための悪役として明治憲法を持ち出さざるを
得ないのはよくわかります。
ただ、その結果としてなのか、先生の民主主義と自由主義との関係理解、まあ立憲民主主義なんですが、
これをどういうふうに捉えたらいいのか、いまいちよく解りにくい部分があります。
たとえば、先生は

「参政権は・・・自由権の確保に仕える」(芦部信喜『憲法』新版補訂版・P82)

と述べられています。
これは事実認識を述べたものなのか、規範認識を述べたものなのか、明らかではありません。
もっとも

「民主主義は、単に多数派支配の政治を意味せず、実をともなった立憲民主主義
でなければならないのである。」
「宮沢俊義が説いたとおり、<リベラルでない民主制は、民主制の否定であり、多かれ少なかれ
独裁的性格を帯びる。民主制は人権の保証を本質とする>と考えるのが正しい。」(同書P17)

とされていること、さらに芦部先生ほどの学者が事実として独裁的民主制が存在しえるし、
存在した、ということを知らない、ないしは等閑視したとは考えられないので
これは両者を不可分のものと捉える「べきだ」という規範認識をあらわしたものと理解すべきなのでしょう。
これに関しては

「・・・自由と民主との結合は、まさに、近代憲法の発展と進化を支配する原則であると言うことが
できよう」(同書P17)

とあるように、先生は、現実さんの指摘するとおり、戦後日本に外部から導入された
究極的には本来対立の契機をはらむはずの国民主権(民主主義)と自由主義(立憲主義)を
「丸ごと」擁護すべく、努めてある種の護教学たるべきことを自らの憲法学の任務にしたのだと思われます。
それが芦部先生の民主主義と自由主義の関係理解のわかりにくさの原因であると私は考えます。



37 :@下高井戸の独房〜帰省中:2001/03/25(日) 08:56
<36の続き>
しかし、猫さんも指摘されるように、法哲学の立場からは芦部先生のような
考え方はナイーブに過ぎる(ですよね?)。
やはり、事実の問題として民主主義と自由主義は究極的に相容れない部分がある。
最近ではそのことを正面から認めた上で論を展開する憲法学者も多数いて
注目に値します(松井茂記『二重の基準論』阪口正二郎『立憲主義と民主主義』
阪本昌成『リベラリズム/デモクラシー』等)。
私の希望としては上で述べたような関心から、拡大国家を前提とする、民主主義に大きなウエイトを置く
憲法学に対して根源的な批判を突きつけることのできる、自由主義のほうに最大のウエイトを置いた
リバタリアン的な憲法観に基づいた議論を展開する学者が出てきてもいいし、面白いと思います。
(既に阪本先生がその線でやっておられますが、もっと大きな潮流になってもいいでしょう。)



38 ::2001/03/25(日) 09:55
> @下高井戸の独房さん
>この点、井上達夫先生の「アナーキズムは無秩序主義ではない。秩序状態を国家の存在と
等値することを批判する思考だ」という指摘

つまり、アナーキズムは無政府主義であって、無秩序主義や無法主義ではない、と。
と考えるならば、アナーキズムにおいても、それ相応の規範が前提とされる、となりますね。
ただ、その規範違反の制裁が国家により担われるわけではない、というだけで。
この辺については、住吉雅美「アナーキズムの秩序像」(法の臨界U所収)東大出版会を
あげときます。

一週間ほど前に、芦部憲法を読み直したのですが、やはりどうしても楽観的な記述が見えるのですよね。
まあ、全ての憲法規定は人権保障、特に自由権規定に奉仕すべし、とかんがえる−
がちがちの「自由主義者」か−のでしょうから、これはこれでわかりやすいとは思いますが。
ただ、そう考えると芦部先生の「自由観」について突っ込んで聞きたくなりますね。

で、自由主義と民主主義の結合もそうですが、芦部先生は福祉国家を自明としているように思えます。
勿論社会権規定に関してはは立法裁量の幅が大きいのでしょうが、
日本国憲法は−芦部先生が考えるほど−福祉国家を自明としている、と考えてよいのでしょうか。
つまり、現憲法下のままリバタリアニズム化することは可能なのでしょうか。

あと、わたしも森村さんの新書はお勧め、と。
ちょっとした政治思想入門としても読めるのではないかな、と。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/25(日) 10:03
新書を読んだが、あらゆる政府の介入を暴力とする思考は正直、頭悪いと
だと思った。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/25(日) 10:10
【コヴァタリアン】

他人の人権は否定するクセに、自分についての人権は
「俺達にも表現の自由はある!」と、いじましいくらいに
主張するヘンな人たち

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/25(日) 12:07

リバタリアンの称する経済的自由なるものがじつは
単なる経済的搾取の自由、金の力による横暴の公認
であることを忘れてはならない。


42 ::2001/03/25(日) 12:28
>41さん
これは笠井潔が書いていることですが。
リバタリアニズム、まあ、笠井氏はアナルコ・キャピタリズムですが、
こけが資本の専制であるのはそのとおりです。
ただ、笠井氏は国家の専制−彼は共産主義国家や戦中の日本を想定している−
よりは貨幣の専制のほうがまし、としていますね。
貨幣の専制では、死を命じられることはないから、ということらしいです。

ま、これは全体主義かアナーキズムか、といった極端な二分法だし、
貨幣の専制により、貧困のどん底に落とされることもあるわけだし、
疑問はあるところですが。

43 :>40:2001/03/25(日) 12:34
そんなこといってスカしてるヒマがあったらアジアの皆さんに心から謝罪しろよ。
自分に謝罪の義務がないなんて勘違いするなよ。
まず謝罪しろ。他人の人権についてもうちょっとかんがえろ。
ここにこころからの謝罪文をかきこめ。
いいわけをして逃げたら、お前自身が【コヴァタリアン】 。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/26(月) 01:06
>1さん
>日本でリバタリアンを名乗りだすと、アナーキスト扱いされてしまうからか。

てゆうかリバータリアンって、そもそも社会主義者・左翼の一潮流であるアナキストが
絶対自由主義者みたいな意味の自称として使い始めたわけですよ。
だから本来はリバータリアン=アナキスト=社会主義者なんですよ。いまでもUSA
(その影響で日本も?)以外では、アナキストによってそっちの意味で使われることが
多いと思いますけど・・・。
リバータリアン・コミュニズム(絶対自由共産主義)=アナルコ・コミュニズム
(無政府共産主義)と言うように。

最近ではアナキストによって欧州などで(最近は北米などでも)ネオ・リベラリズムに
よる資本主義グローバリゼーションへの大規模な反対闘争が行われていて、赤黒旗とか
サークルKを掲げたデモ隊と警官隊の衝突がしょっちゅう報じられてます。

だからアナキスト(リバータリアン社会主義者・左翼)としては、USA(日本も?)
などで共和党系や小沢一郎系のネオ・リベラリスト(「自由市場」資本主義者・右翼)が
「アナルコ」キャピタリズムとか「リバータリアン」資本主義などと「僭称」するのは
許せんって感じみたいです。


45 :アナーキスト:2001/03/26(月) 02:31
>>下高井戸の独房氏
アナキストから見て、ノージックは国家の必要性を正面から論じた数少ない思想家ですね。
彼の言う「超最小国家」から「最小国家」へのステップアップは、自然状態からの国家の発生の必然と
その機能の歯止めとなる境界線を同時に論じているのが興味深いです。
もっとも、ノージックの最小国家論は「スタローン問題」とか色々穴はありますけどね。

>>猫氏
住吉雅美さんはシュティルナーの研究本も出してましたね。
『哄笑するエゴイスト―マックス・シュティルナーの近代合理主義批判』(風行社、1997)がそれです。
日本語で読めるシュティルナー関係の文献は少ないので、住吉さんにはお世話になってます(笑)。

あとアナーキズムの秩序原理を知るには、他にクロポトキンの『相互扶助論』を挙げておきます。
シュティルナーとは違った社会主義的アナーキズムからの視点が得られるかと思います。

>>44
>リバータリアン=アナキスト=社会主義者
リバータリアン=アナキストまでは同意しますが、=社会主義者としてしまうのは
個人主義的アナキストに対する左翼アナキストの横暴に思えますが。

あと、氏の言う共和党系とか小沢一郎系の連中が「リバータリアン」、「アナルコ」
を使用する事より前に、「自由主義」を名乗っている事自体が問題にされなければ
ならないと思いますが。
彼らに「自由」の本能はないでしょ(笑)。


46 :::2001/03/26(月) 23:20
a

47 ::2001/03/27(火) 10:37
>アナーキストさん
シュティルナーは『唯一者とその所有』は持っているんですけど、
まだ読んでないんですよね。

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/27(火) 11:02
>・経済的自由を重んじ、人格的自由を重んじるのがリバタリアン

天皇制はどうなるんじゃ?> 人格的自由

49 :Маршал Боголюбов:2001/03/27(火) 12:20
誰か言ってた
規制反対(やるだけ無駄)のリバタリアン
環境問題に沈む

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/27(火) 14:52
リバータリアンとリバタリアンの違いってあるの?

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/27(火) 16:22
たんなる表記の違いでは?

52 :現実:2001/03/27(火) 23:16
■副島訳『リバータリアニズム入門』
>>35独房さん
>ちなみにこの本の末尾には副島訳『リバータリアニズム入門』
>がお勧め文献としてあげられていましたが・・・

結構前に読んだので当時の記憶を頼りに書きます。
『リバータリアニズム入門』自体は、示唆に富み、悪くない本だと思います。
(たとえば「『表現の自由』というなどという抽象論を、いくら論じてみたところで仕方なく、輪転機や拡声器といった具体的な財産を保障してこそ『表現の自由』も保障されるのだ」とか。)
敢えて不満を挙げると、
>>33に書いたような、不適切な訳語の問題(この点は、>>33で書いたように、確認したわけではないのであまり信用しないで下さい)があります。
・また、内容面に関して言うと、同著は、スローガンとして、財産権(所有権)保障を強調していて、それにかなりページを割いていたので、リバータリアニズム=単なる経済自由主義=資本主義バンザイと誤読されるおそれが、多分にあります。
以上が、不満と言えば不満です。

53 :現実:2001/03/27(火) 23:23
■天皇制とリバタリアニズム
リバタリアンは、天皇を国家に組み込むことを承認しないと思います。・天皇の尊重の強制は、特定の価値の強制に他なりませんし、また、・論者によっては徴税や国軍の維持、下手をすると国家の存在すら承認しないリバタリアンが、国費で余計な国家機関を置くことを承認するとは、とても思えません。

■自由主義と民主主義
この対立は、最近だと、憲法学的には、お馴染み東大長谷部先生VS阪大松井先生に端を発する司法審査論争に象徴されていますね。
下高井戸〜氏や猫さんが仰るように、岩波『憲法』を見る限り、芦部先生の見解が楽観的である感は、確かに否めません。ただ、松井先生(イリィ)の問題提起「司法は、『投票箱に関わる過程』の擁護と、切り離された少数派の権利保障においてのみ積極的であるべきで、それ以外では、民意を尊重して、積極的に違憲判決を出すべきでない」がなされたのは、芦部先生の死の間際でしたから、結局、この問題提起を芦部先生がどう考えたのかは、わからずじまいだった感がありますが。。。

■政府の介入は暴力か?
>>39
>新書を読んだが、あらゆる政府の介入を暴力とする思考は正直、
>頭悪いとだと思った。

ならば、どうして政府の介入が正当化されるのか述べないとダメですよ。物事を誠実に考えるなら。
「強盗と国家による徴税はどこが違うのか」という問題提起すらあるのですから。なぜ、国家の存立を正当化できるのか、ちょっと考えてみると、結構難しい問題ですよ。

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/28(水) 01:45
二点ほど。
森村先生は、ブラックバス放流をどうかんがえられるのかしら。
おれ、藤原保信さんに昔習ったんだ。劣等生ですけどね。あの人はコミュニタリアン+エコだから絶対反対だろ。
でもって、森村先生は?
森村先生は、同和問題をどう考えるのか。同和教育は認めないんじゃないか?



55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/28(水) 02:02
>>53
公共財や福祉など、政府が介入したほうが効率的に実現できる場合もある。
また、リバタリアニズムは政府以外の民間の権力に関しては、
こたえる気がないか、どうでもよく思っているようだ。
政府のみを唯一の権力の源泉としているようで、頭が痛い。


56 ::2001/03/28(水) 02:41
>54さん
早稲田っすか。
>ブラックバス放流
わからないですけど、バスの放流が誰かの所有権を侵害する可能性があるなら認めないだろうな、
と思いますが。ただ、所有権の確定はしにくそうだなあ、と。
>同和教育
所謂逆差別の問題を念頭におかれているのでしょうか?
国家の中立性の観点からいえば、積極的には認めないとは思いますが、
自由放任社会を正当化する大原則として機会の平等(スタートラインの平等)というものが考えられます。
それ故、出生に基づく差別に関しては積極的に是正すべしとするかもしれません。

>55さん
>公共財や福祉など、政府が介入したほうが効率的に実現できる場合もある。

市場の方が効率的に配分できる、というのがリバタリアニズムなわけで、
この批判はリバタリアニズム批判の根幹をなしますね。
ちなみに私も、公共財をの提供を市場に全て−とはいわないまでも−
委ねろ、という主張は疑わしく感じます。

>また、リバタリアニズムは政府以外の民間の権力に関しては、
こたえる気がないか、どうでもよく思っているようだ。

リバタリアンの主要な批判対象が国家である、という点についてある程度まで同意します。
ただ、地域共同体他の共同体に対しては、離脱の自由を要求しますね。
営利団体に対しては、国家の専制より資本の専制のほうがましだ、と思っているのでしょうかね。
しかし、憲法学の通説のように、原則として自由権の行使が国家権力に対してのみ
認められる、とはいわないと思いますが。

57 :現実:2001/03/28(水) 03:10
一応断っておきますが、俺はリバタリアンではありません。多分。

■リバタリアニズムが否定するのは秩序ではなく国家による専断
>>54
彼らが主張していることは、秩序の否定ではなく、「秩序とは何か」を国が一方的に決め付けることへの批判なのです。
森村先生がどう考えているかはともかく、一般的なリバタリアンなら、ブラックバス放流を「国家が」規制することには反対なんじゃないでしょうか。過去ログにもありますが、リバタリアンは、無秩序を唱えているわけではなく、個人や、個々の共同体の自主的な判断を尊重しようという思想でしょう。だからたとえば、私人が環境団体のようなものを組織して、ブラックバス放流者のエゴを批判するとか、そういう方向に向かうと思います。私人には私人を制裁する権限はないわけですが、「製品の不買運動」とか「村八分」とか「自警団」のような存在を駆使すれば、秩序は保てると考えるのでしょう。

同和教育も同様です。地域や親が同和教育を行うことは可でしょうが、それを国家が執り行うのは不可と考えるでしょう。また、優遇政策は当然不可です。
リバタリアニズムが、いわゆる「市場の失敗」にどのように応ずるのかは、下の55に対するレスを見てください。

58 :現実:2001/03/28(水) 03:12
■リバタリアニズムと「市場の失敗」
>>55
前段はリバタリアニズムが「市場の失敗」を無視することに対する批判なんでしょうが、一応、リバタリアンは、そこらへんも視野に入れています。彼らに言わせれば、「市場の失敗」救済のキーとなるのは「善意」なんですね。
一般に、フリーライド(ただ乗り)の危険のある分野では、市場システムは機能しません。市場の力をもってしては、「公道」や「図書館」はできないわけです。だとすれば「やはり政府は必要だ」ということになりそうですが、彼らリバタリアンは、公道や図書館は、企業や金持ちの寄付や、カンパで建つ、というわけです。企業が寄付を増やせば、イメージのアップにつながるのだから(功利的心理)建つだろう、と。
むしろ、リバタリアンに言わせれば、国家が公共事業を実施するという「親心」を発揮しているからこそ、個人の公徳心が歪められてしまったり、個人が自律する機会を失わせているのだ、と言うわけです。
「ガスは危険だから」という理由で子供を厨房に近づけさせなかったら、将来、料理の全くできない大人になってしまうようなものです(まあ、個人的には、このような楽観的な考えが、国家による調整原理の代替となるかは疑問ですが)。
さらに、彼らに言わせれば、もし、善意が国家の代替とならなくても、効率性を根拠に、個人の自律した判断の機会を奪うことは、結局、効率性と道徳を引き換えにしていることに他ならない、と批判するでしょう。

59 :現実:2001/03/28(水) 03:13
■リバタリアニズムは政府を唯一の権力の源泉としているか
おそらく政府「のみ」を唯一の権力の源泉としているわけではないと思います。これは>>42で猫さんが触れています。せいぜい「国家よりは資本に支配された方がマシ」と考えている程度です。そもそもリバタリアニズムは自由を至上命令としますから、政府のみが唯一の権力の源泉としているはずがないと思います。私人から私人への権力行使は、上記したような「不買運動」や「自警団」で防ぐ算段なのでしょう。

■リバタリアニズムの本願
というか、国家抜きで、多様な個人、多様な共同体が、自生的秩序を保ちながら共生していく、というのが、リバタリアンの本来のイメージだと思います。ノージックの著書のタイトルは『アナーキー・国家・ユートピア』ですが、そこでは、国家とは、国家内部において多様なユートピアの実験施設として捉えられている(実験施設が必要だから、最小限の国家は必要)。
リバタリアニズムの一派であるアナルコ・キャピタリズムにおいては、時には、個人間、共同体間で抑圧的な権力行使がなされることがあっても、それも、「見えざる神の手」の力によって、元の状態に回復すると考えるのでしょう。

60 :@下高井戸の独房〜帰省中:2001/03/28(水) 03:35
>現実さん
>リバタリアニズムの本願
そうですね。
これに関してはつまり国家からの自由が完全に貫徹された上で、
あとは個人個人が好きな仲間と好きなようにグループを作り、
活動をする、ということになるでしょう。
ただし、他者の権利を侵害しない限り、という制約条件をつけますが。
したがって、加入が任意であって脱退の自由もあるのなら、個人の選択で
自由を大幅に制約されるようなグループに入るのもいいと。

よくある誤解ですが、リバタリアニズムが共同体をないがしろにする
悪しき個人主義思想の権化のように捉えられるのは間違っています。
むしろ他者危害がない限りでの個人の自由に任せておけば、それぞれ任意に
親密な者同志で構成される共同体を構成するだろうと。
公共財の供給なんかもそのようなグループや個人の自発性、ボランティアに
任せておいたほうが効率よく行くだろうと考えるのでしょう。
むしろ共同体の敵は当然ながら拡大国家による福祉を重視する思想、
または逆説的ですが、ある種の共同体主義だと思います。



61 ::2001/03/28(水) 12:57
>>57現実さん
同和教育も同様です。地域や親が同和教育を行うことは可でしょうが、それを国家が執り行うのは不可と
考えるでしょう。また、優遇政策は当然不可です。

リバタリアンの理念からいえば、リバタリアンがそういうであろう、という点には異論はありませんが、
突っ込んだ話を少し。
リバタリアンの倫理的基礎−経済学的基礎ではなく−はノージックにも
見られるようにカント流の「人格」であると思います。
これは個人を手段としてのみ扱うことを許さず、各人の自律を尊重する概念でありますが。
各人の根源的な平等性とでもいいましょうか。
単なる思想屋ならこのようなことを言い、納得していればいいのでしょうが、
この理論を現実に適用した場合、人々が他人を自らと同等の人格と扱わない可能性があります。
これは好ましいことではないですが、人格概念がフィクションである以上、このようなことは現実にありえる、と。
であるならば、リバタリアニズムの根幹たる各人の人格の平等性を納得させ、
実効的に確保されるための教育−ここでは同和教育ですが−というのが
リバタリアニズム社会を維持するために要請されるのではないか、と思います。
これはリバタリアニズムの想定する人格というフィクションを現実的なものにするものですが。

リバタリアニズムは民間領域に対し相対的に楽観的なわけですが。
それに対し、リベラリストは民間領域において少なからぬ重大な差別が存在するからこそ、
国家の干渉を要求するわけで−干渉する事項はそれだけではないけど−。
この点で、人格の平等性を標榜しながら生まれに関わる差別が十分に是正
されないという批判は、倫理的にも、また社会の維持という点からも
リバタリアンにとって致命的なのではないか、と思いますが。

特に、リバタリアニズムは国家という強制装置をできる限り小さくし、
多くの活動を社会に委ねるのですから、人格というフィクションが
社会成員に徹底されていることは重要ではないか、と思われます。
勿論、このような教育が民間で公教育より適切になされるのであれば、
私の批判は見当違いになりますが。

62 ::2001/03/28(水) 13:15
スレの本題から外れますが、少し私自身の考えを。
各人の根源的平等、だの、人格の自律性だのとインテリはいいますが。
別にそれはそれでいいのですが、私自身もこのような見解にコミットしますし。
ただ、社会秩序について考える場合、現に実現されている状態と理想の状態を混同し、
後者の観点からのみ評論を加えるのはいかがなものか、と思いますが。
今回の事例で言えば、各人の平等が実現されていないのに、リバタリアニズム的社会の構想を
提示するということですが。
これがまったくの規制的理念にとどまるのであれば、あえて口をはさむ必要はないのですが、
そうではなく、−各人の平等性というその条件が実現されていないのに−現実にリバタリアニズム的方向に推し進め、
それでうまくいくと考えているのであれば、問題なのではないか、と思います。

−ここではリバタリアニズムはその条件(各人の根源的平等性という観念が広く広まっていること)
が満たされていて始めてうまくいくものであると、という前提を想定しています−

リバタリアニズムは一般的に言って社会活動を将棋や囲碁のようなゲームとしてみるように思います。
将棋のルールは当然その社会活動の範囲内で徹底されることとなるでしょう。
ただ、その将棋というゲームに、対戦相手を殴り飛ばすことによって勝利する−終了させる−
ということがいけないことである、というのはリバタリアニズムというゲームでは暗黙の前提と
されているように思います。
勿論、このような事態が生じたならば、村八分にされるかもしれないし、警察の出動を願うかもしれない。
ただ、しかし、殴り飛ばすことがいけないことである、というルールが徹底されていないならば、
つまり、それら違反者は社会から排除されなければいけない、殴り合いを始めるのがいけないことである、
というルールが徹底されていないならば、村八分も警察も要請されないでしょう。つまり単なる無秩序状態です。
同和問題というのは、そもそも被差別者が対等のゲームプレイヤーとして
認められていないが故に問題なのではないか、と思います。

であるならば、まず第一に人々に教えなければならないのは、ゲームのプレイヤーが
殴り合いを始めてはならない、ということではないか、と思いますが。


63 ::2001/03/28(水) 13:20
>ただ、その将棋というゲームに、対戦相手を殴り飛ばすことによって勝利する−終了させる−
ということがいけないことである、というのはリバタリアニズムというゲームでは暗黙の前提と
されているように思います。

不明瞭な文ですね。訂正。
ただ、その将棋というゲームにおいては、対戦相手を殴り飛ばすことによって勝利する−終了させる−
ということがいけないことである、というのは暗黙の前提ですが、
リバタリアンにおいても、人を暴力で威嚇してはならないなどといった
人核の根源的平等性というのもまた暗黙のルールとされているように思います。


64 :54:2001/03/28(水) 23:20
猫さん、みなさん、誠実なおこたえ、ありがとうございます。
最良のスレです!

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/29(木) 18:57
優良スレ、アゲ。
kovaもage荒らしするなら、
こういうスレをあげてほしい。

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/29(木) 20:08
独占の問題についてはどう考えるのでしょうか?

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/30(金) 02:58
age

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/30(金) 12:13
ノージックは最近、左傾化してきたとも聞くが。

69 :すの字:2001/04/02(月) 08:47
 森村の本はおもしろいものでした。しかし思うに、身体の延長として
の私有財産という彼ののテーゼは、うまくいかないことが歴史に示され
ています。

 荘園でも企業でもいいですが、所有者が直接管理できないものを
他人に管理させることが、私有財産が侵食される第一歩です。暴力
的強制によって繰り返し私有財産の歴史的「由緒」を教え込まない
かぎり、使用人は自らの管理するものを自らのものにしようとします。
大財産の集積はよくある歴史の流れですが、それが一定水準を越え
るときには、かならず所有権の徴税権への転落や場合によっては消
滅という逆行がおきています。

 荘園の農地でも、企業の機械でもいいですが、それがどんなもの
か見たこともない名義上の所有者の身体の延長であり、日々身体
をもって触れている使用人には何の権利もない、とするのが右翼リバ
の立場です。しかしその思想で全ての使用人を納得させることはで
きません。財産が身体の延長なのだとしたら、なぜそれが名義的所
有者にとって「だけ」の延長なのでしょうか。そういう信念から出発し、
やがて、財産と名義的所有者の距離が広がるにつれて、すべての
権利が使用する人にあるという信念に至ります。

 これは別に社会主義のことを言っているのではなく、荘官や経営
者も含めて言っています。



70 :すの字:2001/04/02(月) 08:57
 69続きです。

 どちらが正義であるかは、規範論ですから、どこかで水掛け論にな
ります。しかし、使用人を納得させられないなら紛争がおきます。
その財産に体を張りつけて闘う使用人と、直接でてこない名義的所有
者との紛争です。

 その紛争は、国家がないときには、実力による解決しかありません。
所有者側か、使用人側か、いずれかは一概にいえませんが、プロの自
警団が自助の自警団を圧倒することになるでしょう。

 国家が身体と財産の侵害に対してのみ介入するとしたらどうでし
ょうか。鉄鎖(と身体)以外に失う財産も権利も持たない人たちに
おびえる19世紀自由国家の姿です。右翼リバタリアンが力をつけた
社会は、実際にはこっちに進むのではないでしょうか。

 所有権を制限して、直接使用者に権利ありとするのが、アナキストの
後継である左翼リバタリアンなのですが、どこから元の所有者(元の使
用者)の手を離れるかで、やはり紛争はおきるでしょう。一人が発起し
て別の二人と協同すれば、もう放り出される可能性が生まれるわけです
から。

 現代資本主義は、市民法秩序に異物を挿入することで紛争を制度化し、
労働をとりこんだ産業平和を実現しています。その平和はそのままで異
物を排除できるか、疑わしく思います。



71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/07(土) 21:08
面白かったのに、誰も最近書き込んでないじゃないか・・・・・・・

まあ、この時期忙しいけどね、みんな


72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/27(金) 04:43


73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/29(日) 01:34
渡部昇一ってリバタリアンですか?

74 :落合信ちゃん:2001/04/29(日) 02:00
ウォーレン委員会をぶッ潰せ。

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/29(日) 02:14
ジェラルドフォードは狡猾な奴だ。

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/29(日) 04:36
一ドクソです。「自由はどこまで可能か」、
大変おもしろく読みました。

的外れな考えかもしれませんが、
小さい頃から連邦政府に忠誠を
誓わせられるようなアメリカ、
メインカルチャーの抑圧の強いユーロ、
と比べてプラグマティックな傾向を持つアジア、
の中でも一番自由に近い(かな?)日本
のほうが意外にも(?)リバタリアンと親和性
があるのでは?
と思ったりしました。


77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/26(土) 14:42
面白いスレッドなのであげ

78 :超現実主義:2001/05/26(土) 15:02
 アメリカ自由主義と、イギリス保守主義は、歴史的経緯からすれば、
ちがうとおもふけど、そこんところどう?


79 :名無しさん:2001/06/22(金) 19:34
age

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